ちょこちょこ…と。(2020・10・13)
- Ayako
- 2020年10月13日
- 読了時間: 2分

また言葉のことを書きます。
ある日、私はこんなことを想像していました。タンスの後ろ側って…どう見てもタンスだなと…ものすごく当たり前のことですが、そのことが急に不思議に感じたのです。その後で、今度は鏡の前に立ちました。すると、そこでも、こう思いました。鏡は逆のものが映るけれど、言葉の逆のものは鏡には映らない。男性の対義語は女性なので、逆のものが鏡に映るとすれば、男性が映るということを、何となく想像したのですが実際は映りません。子どもの頃の素朴な疑問をふと思い出しただけなのかなと思ったのですが、その時は、さらに、こんなことを感じました。タンスの後ろ側はタンスですが、実際に何か別のものがタンスの逆側などにあれば、それは人が何かを故意に置いたいうことになります。そんなふうに眺めていると、言葉の法則は、人によって創られたのだということを、あらためて実感しました。タンスの場合は、鏡に映してもタンスはタンス、後ろ側を見てもタンスはタンスです。そのことを物語るように、人の考えによって、対義の法則で創造できずにあった言葉や、タンスには類義語はあっても対義語はありません。すべての言葉に対義語があったとして、タンスの後ろ側を想像したときに、タンスの後ろ側に何かを置けるとすれば、布をかけられたらいいなと想像しました。対義語のない言葉からは、たとえ、言葉には法則があっても、自分らしく見つめれば、新たな創造もできると教えてもらえたように感じます。それから、対義語の言葉からは、見え方の角度を変えたりして、時には言葉と両方を見つめることも大事であるということも感じます。言葉を創った方たちのことも想像すると、人はその時その時、懸命に良いものを創る努力を重ねられたのだろうと思います。創って下さった人がいたことによって便利で選べるものがあるから今があることや、自由がそこに存在するから大切に選ぶこと、それから、何かの出来事や物事を不思議に感じたりすることも、否定や肯定、尊重、色んな感じ方がありますが、さらに先に見えるものを感じることは、新たな平和や心温まる事を自分の心で描いてゆける、自分で自分の心を満たせてゆけるものを心でも創り出せる、そんなことにも繋がるそんなことも感じています。
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