ちょこちょこ…と。(2020・12・20)
- Ayako
- 2020年12月20日
- 読了時間: 5分
更新日:2020年12月23日

食べもので思うことを書きます。
日本ではスーパーなどには食材が数多く並び、食材が揃えられます。日本はとても恵まれているというイメージがありますが、私の両親が生まれた時代は、戦後などで食べ物が世の中に多くない時代だったため、山に登って実っているものを食べることもあったと聞いていました。そのことを自分なりに想像すると、学生の時に近くの山に登ったことがありますが、登るだけでも体力をものすごく使いますので、多くの体力を使ってせっかく食べても、お腹が空くなど、とても大変だったのだろうなと思いました。母から随分前に思い出として聞いた時に、よく山登りをしたことで、足腰が強くなれたと言っていたことを覚えています。その言葉通り、母は、足腰のとても強い人でした。そのことを振り返ると、現実に見えることをどんなふうに見るといいのかを、母は教えてくれていたように思います。
食べ物のことに戻りますが、日常に必要なものや、食べたいものが食卓に並ぶということの有難みは、今年はマスクや、日用品なども含め、世の中に足りないという身近に経験したことによって、より大切な感覚になりました。
母も、もう亡くなりましたが、残してもらった言葉、大切にしていたもの、出来事などから、亡くなった後も、いくつも母の心を見つけてきました。特に食べ物は、母との繋がりでは、多くの記憶に残る出来事もありました。色んな影響も受けて、母との記憶だから心に残る食べものも見つけられました。そういったことを日々想う時も、母と私は、それぞれの個性の心の持ち主で、そのことをちゃんと理解した上に、母という心を大事に感じるということを感じ続けています。そのことを見失うことのない自分でいられるように教えてくれたのも、私のことを大事に想ってくれた両親だと思っています。
家族では、色んな環境があり、それぞれの家庭で、多くの状況があるかと思います。
中には、生まれた時からご両親がいない方、片親の方、家族が揃っていても円満かどうかなどは、そのご家族の感覚によって色々あるかと思います。私自身も、もう両親はいなくても、息子たち、妹もいるので、色んな未だわからないことを、人生で学んでいるところです。そういう学びの途中で、食べもの一つも、家族の心の繋がりに成りえることを学んできました。それは食べものに限らず、先日も書いたお手紙であったりもするかもしれません。その時は実感がなくても、時が進むごとに気づく場合もあるかもしれません。
自分の気持ち、心をどこに、何に込めるかは、母と私は、性格は似ておらず、感覚が異なっていることもありましたが、母には母の得意なことで、愛情を込めていてくれたと思います。私も創作したりしたものを形にして、誕生日などで渡していました。
母は私が物心ついた時から忙しく仕事をしていたので、母とその時々の色んな自分の心を伝えたくても、とても我慢をしていました。特に、子どもの時の私にとって、食べるということが怖いということ、それはお腹が空いている時に食べると、いつもお腹が痛くなっていたからなのですが、自分ではそういったことを、言葉では伝えることが出来ませんでした。そういったこともあって、とても食が細く、偏りもあって、母のことはすごく好きでも、母から食べ物や料理という込められた形としての愛情があっても、母の作ってくれた料理を食べられませんでした。ですが、母はそのことが当時の一番の心配事だったようで、私が、ちょっとでも食べられるように毎日多くの料理を作ってくれていました。
年月が流れ、大人になると、母の作る殆どの料理を食べられるようになっていました。その経過の日々にどんなことがあったかというと、母がいつも食卓に多めに料理を並べて、そのことをじっと見つめていたことを覚えています。食べられなくても、私の分もありました。そんな光景があって、両親が食べている姿も見て、ちょっとだけだったら食べてみようかなという気持ちに、自分からなれました。そんな日々が重なるごとに、母の作る料理の味がわかり安心して色んなものを食べられるようになっていました。お腹が痛くなっていたのも食べられるようになると痛くなる回数が減りました。何故かと考えると、長く食べない後に、少量を食べていたことで、胃腸の働きが、活発になり余計に痛くなっていたことにも、後々ですが気づけました。これは、私の体質なのですが、知れたことは、自分の食生活での学びでは大事なことでした。
それに、私の場合は、母が料理に込めた愛情がどういう感覚のことかを、長い時をかけて感じられました。これは私の母のことを書きましたが、母、私、そして、どんな人も、持っている表現、愛があってもその伝え方は色んな形があると、そう思います。その人の性格、色んなことを知り、尊重出来て初めて、互いの心を込めた表現がわかることもあるように思います。尊重にも私が感じるのは、互いの立場を知って想う尊重と、互いの立場は必要なく一人の人として互いに想える尊重というのがあるように思います。
子どもの時には、母は母、私は子どもという互いの立場があって、そういう中に過ごしていた日々でしたが、きっと私には二つの意味の尊重が感じられたというのが、母と自分という個性だから感じられたのかもしれないと思っています。以前も書いたように、今回書いたことは、私には人生の長い時をかけて気づいたことの一つです。
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