ちょこちょこ…と。(2020・12・3)
- Ayako
- 2020年12月3日
- 読了時間: 3分

言葉のことについて書きます。
私は言葉のことに関心があるので、ここでも何回か色んなことを書いていますが、言葉が大切とも書いています。その時に、色んな見え方があるかと思いますが、言葉だけが大切で、その他のことが大切でないかと言えば、そうでもないです。そこには、人の想像という力が働くのだと思います。例えば、私のことを個性をご存じの方とそうでない方だと、言葉だけを見ているだけの私のイメージは違っているだろうと思います。私自身、言葉を見る時は、書いた人のことを想像します。
文は、本人が直接書くものと、他の人に起きたことを他の誰かが書いているのものもありますが、他の人が書いたものだとしたら、私は書いた方の個性も想像しています。お仕事で書いておられる場合もあるので、色んな角度で眺めてゆくと、色んな事が見えてくるようになりました。私は、自分の言葉で、ここに書くことが出来ます。ですが、やはり言葉には自由があるから、自由がどういうことかを自分の内側で見つめています。
随分昔に思ったことですが、言葉の説明が、長くなることが良くないという思い込みが、私には出来てしまったことがあり、なるべく短くするようにしていた時もありました。それは、自分のお仕事のやり取りだったり、短い方がいい場面が増えたのも大きいのですが、自分らしく書いて良い場面でも、そのことをある時まで思い込んでいた自分自身がいると気づいて、その思い込みがなくなった時に、ようやく私らしく戻れたという感覚になれました。
人生には些細なことでも、そういったことがまだ見つかるのかもしれないと思っています。
また、ある時から、言葉の感覚は本当に大きく変わりましたが、それも自分の心と向き合った時に、心の成長の途中と思えるようになりました。それは、私には、何もわからない時があって、成長できたからそういう時が来て、また学び続けようしていることは、またその次へと成長すると思える、そう感じているからだと思います。私は、どんな自分も自分だとすでに受け入れていると思います。それは一人だけでそうなっていったのでなく、周りにいる人、繋がる人もいて、自分の心は成長していると思います。
私は、自分の心で見つけたり、学んだり、それがとても人生での価値観などにも繋がっています。何かを学べたと思えた時、何年も何十年もかけて知れることが、人生には見つかるというのを知ったことも大きいと思います。そういったことは金銭などにはかえられないので、心の外に出すことは、本当に、大事だなという場面、人に、伝えたいという感覚があります。それでも、私自身も色んなことを教えてもらえて成長があるということも感じて、以前より多くを書いたりするようになったと思っています。教室をはじめた時の気持ちなども思い出したりして色んなことをちょっとでも心地良く過ごせるといいなと思います。
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