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ちょこちょこ…と。(2020・12・31)

  • Ayako
  • 2020年12月31日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年12月31日


今日は、色んな事を書きます。

子どもの時に、一人で砂遊びをしていました。

母がいつまで遊んでるのと、迎えに来た時に、はっとあたりを見渡したら、もう日が暮れていて、自分では、ついさっき来たばかりのような感覚だったので、とても不思議な気分だったことを覚えてます。

時の感覚は、人によってもしかしたら全く異なるものなのかもしれませんが、何かに集中している時、一生懸命な時、そういった時は、時の感覚が早く感じるように思います。大掃除をしていて、時計を見ずに集中していたら、子どもの時のように、気づいたら肌寒くなっていて、外の空気が代わりに教えてくれたんだなと、今年はそんなふうにも思えました。

こういった表現で書くと、自分に存在している悲しみが言葉として残る、それはその時の自分の姿なのですが、私の場合は、以前に自分で書いた言葉で、心が前向きになれたことがあったので、未来といっても、明日、明後日、それは、ほんの先の未来にいる自分に、学びながらでいいから、前向きな言葉を贈れるような自分でありたいと、実際はそう思っています。そういったことは一つの目線から見てきたというのでなく、過去には後ろ向きだったり、悲しいと感じられる言葉も残してきています。だから、より自分の身になって、そういったことを気にかけているいうのがあります。

こういった場所が、プライベートなのか、仕事なのかという部分になるのかということも、現在の世の中において、どちらがどちらとも言えない曖昧な部分があるので、私は二つでなく、もう一つの、それは、心の家と自分で名付けているところを、常に持っています。その部分には、教室で創作をしてくれた子たちと伝え合えたことや、家族と会話した時の思い出や、その他にも自分で大事に思えた記憶が言葉だけでなく映像としてもある場所です。記憶なので、それは脳が覚えていてくれていることなのですが、脳と心が一体となる時にその繋がる部分には感情が伴っています。また、もっとその先にもある、感情に似た世界があることも、誰もというわけでないかもしれませんが、心という世界での成長過程にはあることなのだろうなと感じます。

短い言葉で、自分ということを説明するのは、難しいのですが、子どもの時に、これなあに?っていうことを、母には聞けない自分だったからか、関心のあることについて、優しく教えてもらえる時に喜びを感じる私がいます。

日頃にも思うことですが、そういった感覚のある私に、声をかけて下さったり、興味のあることについて教えていただいたり、色んな方から多くを学ばさせていただいています。

今年もありがとうございました。









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