ちょこちょこ…と。(2020・12・6)
- Ayako
- 2020年12月6日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年12月7日

趣味について書きます。
趣味は、人生では趣味を持っても持たなくてもどちらで過ごせるものです。例えば、専業主婦で料理の好きな方は、それは主婦としてのお仕事でもあるので、趣味と重なっていることもあると思います。また仕事と趣味とは、別のものという感覚で楽しむ方もいるかと思います。
私の場合は、趣味というと、細かに数えると、いくつかあるのですが、そんな中でも好きな所を歩いたりすることは、お気に入りのような感覚でしたので、今年の自粛などで、そのことが自由に出来なくなったことは、私の中では大きいことでした。そんな感覚が続くうちに、外で見る風景の代わりに、自分で見たい風景を部屋に小さなスペースに作ったりすること、出来なくなったことを別の形へと変換することで、同じような感覚を、味わっていることに気づけました。今年のように、何か出来ないということがあった時に、失ったという感覚の大きな喪失感であったり、悲しみなどのネガティブな感覚なことに繋がってゆくこともあると思います。きっとそういった感覚がある時に、その感覚をこれまで好きなことの似たことなどに変換することも、心が楽になることに繋がるかもしれないと感じました。私は、最近もそうですが、気づいたら、自分だけに作れる小さな風景を部屋の色んな所に作っていました。同じでなくでも似ていることなので自分の中に安心も感じているのかもしれません。
実際、私は、コロナでの世の中の変動がある前にも、大切な存在を失う喪失感を何度か体験してきたのですが、その時には、自分ではどうすればいいか、何も考えられない感覚でしたが、結局は自然と行えることをしてきたように思います。不思議とそういった体感したことと同じ頃には、過去の自分が大切だったことを再確認するようなことを、自分の内側で感じたり、心には修復機能のようなものがあるのかなと感じました。それに、私は、とても悲しい経験があると、笑うということが極端に少なくなるのだなということがわかりました。普段、楽しい時は笑うのも多いのですが、そういった感覚が全く感じられない心の感覚も体験しました。そういったことがある時でも、私には、直接に人と話す場面では、人には私がどんな状態かわからないこともあるので、なるべくそれまでと変わらず過ごしてきました。ですが、その時は、それも上手には出来ない感覚になるようなこともありました。ただ、心の軸の部分で大切に思うことは努力して、それ以外で、気持ちが出せると思う場面だったり、1人で過ごせるという時は、それもその日の、その時の自分と感じながら、心を大切に過ごしていました。今年は多くの方もそうであるように、家族にも会えずだったり、そのことが続くことは疲労のような感覚が蓄積してゆくようなこれまでにない体感も感じています。趣味は、こういった日々の疲れのすべてでなくても、感覚を改善もできそうですので、こういう時だから行える範囲で、趣味も取り入れてゆけたらと思っています。
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