ちょこちょこ…と。(2020・11・1)
- Ayako
- 2020年11月1日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年11月7日

愛情ということについて書いてみようと思います。
愛情は幅広い分類されることで使われている言葉でもありますので、自分の知っているのものの中では、家族への愛、友人への愛、ペットや動物への愛、植物や自然への愛、芸術への愛、未来ある子どもたちへの愛、最近では、言葉への愛、そして、自分への愛、書き出してみると、広い範囲で、愛が身の回りには存在しています。その中でも自分への愛がとても大切だということを、ここ数年は感じられることが多くあり、自分を大切にしようとしてきたと思います。自分を大切に思うことは、人生で色んなことを眺めてゆくと、自分以外の人を愛せることも、自分を大切にすることへと、色んな部分で繋がっていることも感じています。
自分を大切にしてゆきたいなと思えたきっかけは、最初に書いたような色んな愛の感覚があることを知れたからだと思います。私の父のことでお話しすると、愛情を言葉では上手に表現できないそんなところがあったのですが、私が仕事や色んな事で辛い時に部屋で泣いていたら、頭や背中を撫でてくれたことがありました。その時から、私から見える父の姿が、それまでと大きく変わって感じられたことを覚えています。父の愛情表現を感じられたことは、それまで不器用だった父から多く受けた言葉で傷ついた色んな私の思いも、すべて昇華するような、父へとても優しい気持ちが湧いてきました。その後、二人だけで、外で一緒にお茶を生まれて初めてしました。私には、言葉でない、愛を与えてもらえたと感じられた大きな出来事でした。
他にも、小学生の頃、私はスカートめくりをする男の子が苦手でした。そういったことをする男の子を一人で追いかけて、するなと言って泣かしたことがあります。男の子のスカートめくりが、良くない男の子の遊びとしか思っていませんでした。そんなことも時が経てば、女の子に関わりたい表現の一つといったような、可愛いらしい愛みたいなものであったのかなとも思えて、色んな出来事をどの角度から眺めるかによって、本当に見え方が変わってゆくのだなということを感じます。
大きなことで書くと、私は、学生の時、いじめられた記憶が二回あります。それは、私の場合は、二回ともいじめられた子をかばったら、一度目は代わりに、二度目はそのいじめられた子と同じように、まとまった人数からいじめられたことがあります。昔も今の時代もですが、なくならない、それも、こんなに体感した多くの人がいるのに、繰り返されていることをとても残念に感じます。当時、私には、離れたクラスに一人の友人かいました。その友人がずっと私と交換日記をしてくれて、そのことが、私には大きな支えになりました。その子は、普通に交換日記をしてくれていただけで、私のことを助けたなんて思っていないと思いますが、今でも私には愛というふうに感じられています。
心に傷が全くない人生であったら、幸せなのだろうなと思いますが、私で言えば、傷と感じられたことを、どんな形でも自然と乗り越えられた時、人からの愛の大切さもわかり、その子へと想う優しさ、感謝も生まれました。私は、いじめた人のことは忘れていっても、交換日記をしてくれた子のことは、今も忘れることはありません。
今の世の中で生きていれば、心に傷を抱えてしまうことは多いことかもしれません。例えば、傷が原因などで次の憎しみを生んだとすれば、憎しみはさらに増えます。今の世の中は、そういった感覚も繋がった状態になっているふうに、私には見えます。
愛を感じられることをたくさん繋げば、そのことを心で感じる人が増え、自分が体感したから、また人へも繋ごうという心や行動を選べる人が増える気がすると思っています。もちろん人生では、そうなれないほどの痛みを経験したら、その記憶から抜け出せなくなる、人生は長く、色んな出来事もあるので、見え方が変わってゆくまでに、長い時がかかることも、とてもわかります。それでも人生で体感する悲しみや傷を、色んな形で癒していったり、昇華してゆけることは、その後、じっくり自分に目を向けたり、大切にしてゆけたりもすると思えています。私の父は、もう二年前に亡くなったのですが、その際はショックを受ける体験があったことで、色んな事の不信感でいっぱいになりました。そのことの傷をずっと抱え生きてゆくことを選ぼうと思えば選べますが、私は、その傷も自分で癒すことや、繋がる人からの愛を受け入れたりする中で、回復させる方を選んでゆこうと思います。人に心があることを、ふと深く考えたりすることがあります。単純に脳からすぐに言葉を直接出すだけが人だったら、心は初めから人には必要でなく、そう思うと人に心が存在することは、体の一つ一つに役割があるように、人のための大事な部分と思えています。それもきっと人に活かせるための部分だと私は思います。自分に似た心の人が世の中にいたら、そういった感覚のことを感じ合ってゆけることが、私には、自分らしいと思います。
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